天国へと続く道

人は他界後どうなるのか。人も動物も、様々な過去世を持ってこの世に生まれてくることを考えると、転生の可能性はあるでしょう。それを選択するかどうかは別として、魂の旅が続いていくなら、死後と転生の間はどうなるのか。一説によると、今世での自分の心の状態があの世へ引き継がれるといいます。もしそうならば、この世にいる間から心の在りようを意識して生きていくことは、天国へと続く道を選ぶことなのかもしれません。あの世で在りたい自分を想像し、そこから今手放したほうがいいマインドセットを考えてみましょう。

 

目次


魂には意思がある


天国と煉獄と地獄と

煉獄にある魂

地獄にある魂

天国に行く準備ができている魂

煉獄や地獄から天国へ行けるのか


天国へとつながる生き方は目覚めたエゴフリー


今のこの人生から歩み始める天国へと続く道

1.自分の心の声に正直に、あるがままの自分を生きる

2.相手にも「自分の人生を生きる」自由を与える

3.自分も相手も、あらゆることを赦していく

4.気づきの機会に心を開いておく

5.宇宙の流れにゆだねて気楽にリラックス


この世もあの世も、自ら選択した想念が創り出す世界


あの世にいない魂はどこに


結局は自分がどう在りたいか

 

魂には意思がある


生きることにこだわりがなく、死ぬことに怖れを抱いていない私は、死後の世界に興味を惹かれることはありませんでした。しかし、他界した魂が頻繁にこの世を訪れるのを目の当たりにするようになって、その魂たちがどういう状態にあるのか関心を持ち始めたのです。

たとえば、二十年ほど前に亡くなった父方の祖母は、毎週のように家にやってきます。最初は、墓じまいをしようと家族で話が出たときに、慣れ親しんだ愛着のある地から離れたくないと伝えたくて現れました。結局それは他の理由から一旦保留となったのですが、その後も頻繁に訪れるようになりました。家族団らんに交ざりたいという気持ちもあるようですが、家族を守ることが自分の役目であるという義務感と、それが自分の幸せであるという思いから、自らの意思でこの世界にやってくるようです。他の祖父母はここまで頻繁に現れることはありませんが、いわゆる成仏はしていても、自由に行き来できる状態のようです。


最も驚かされたことは、生死に関係なく、魂には意思があり、それが何よりも優先されるということ。自由意思の法則というのでしょうか。魂の意思によっていかようにもなる。自分自身の在り方も、世界の見え方も、自分が自由に選択する意思によって変わる。これがこの世でもあの世でも適用されていくように思えたのです。


天国と煉獄と地獄と


そんなふうに思い始めてまもなく、一冊の本に出会いました。M. スコット・ペック著の『死後の世界へ』に、何となくそうかもしれないと思う内容が書かれてありました。

死後の世界を支配している法則は、自分で自由に選ぶことができる「自由の原則」であり、強制的なものは一切なく、その世界を自分で地獄として選ぶことも、煉獄として選ぶことも、天国として選ぶこともできる、と。


それなら簡単!誰もが天国を選ぶに決まっている。でも、自分が顕在意識に抱く願望と、潜在意識に抱えている想いは、必ずしも一致するわけではないのです。つまり、天国を選びたいという願望を持っているから天国に行けるのではなく、自分の魂の想念がどのような状態であるか、それ次第のようです。


ペック氏が『死後の世界へ』で描く、煉獄、地獄、天国。

どんな魂がそれぞれの世界にあるのか見てみましょう。

煉獄にある魂


煉獄は、孤独や不幸せなどから抜け出せない、抜け出そうとしない抵抗から行き詰まりを感じている状態。何かによって得る自己イメージを、自分は何者であるかを定義するアイデンティティとして執着し、それがなければ自分が自分ではなくなるような感覚を抱く。


本に登場した煉獄の魂は、「被害者である自分」「肥満体の自分」「黒人の自分」「車いすの自分」といったアイデンティティに執着。死後の世界は、そのように自分を制限する現世的な執着から自由であるのに、その自由に耐えられない状態。


地獄にある魂


地獄は、自ら進んで身を置いたみじめさ、あるいはトラウマが苦痛として感じられず、それが正常で普通なこととして捉えている状態。真実に刃向かい、真実を回避するために、自ら望んで途方もなく多忙なところに居続ける。自分から目を背けるのは、心の奥底では自分は無価値だと思っているから。


本に登場する地獄にいる魂は、地位と権力を求めて生存競争に勤しみ、絶えず注意を払っていなければならないと考え、自分の支配力を主張する。実際には、怒り、怖れ、苦痛、大きな不満を抱いているにもかかわらず、そうすることが幸せだと本気で信じている。


天国に行く準備ができている魂


一方、天国は、生前の世界への愛着が消えた状態。本質的には幸せだけれど、精神的苦痛のない状態という意味での至福とは異なり、死後の世界に適応するために、悲しみ、気落ち、混乱、疑念、恐怖といった苦しみを感じつつも、真実とは何かを突き止めようとし過ぎない。時が経ってわかることもあると、リラックスして気楽に構えることができ、自分の能力を他の魂の進化のために役立たせることに意識が向く。


煉獄や地獄から天国へ行けるのか


煉獄にいる魂は、人からの助言に耳を傾けようとも、自分を変えようともしない。その割には、追い詰められて助けを求め泣き叫ぶ、という傾向があるようです。そういった魂に対して、煉獄は助けを十分与えられるところ。気づきの機会を活かすかどうかは自分の選択次第、と描かれています。執着を手放すことができたとき、天国の状態へと移っていけそうです。

地獄にいる魂も、煉獄の魂と同様に、望めば別のステージへと行くことができるようですが、如何せん「自分は他の人たちとは違う」と軽蔑と哀れみをもって他を見ていて、自分は正常、他は異常というような排他的なものの見方をする傾向があるので、難しい面があるようです。


天国も煉獄も地獄も、それぞれ隔てられた別の場所にあるようなイメージを抱きやすいですが、実際には分かれているわけではなく、個々の魂の状態の段階のようなものとして描かれています。同じようなステージにいる魂たちと過ごしているから、分かれた世界としての捉え方もありなのかもしれません。それぞれの魂が心から望めば、地獄から煉獄へ、煉獄から天国へと移っていくことも可能、という柔軟性は、フィクションであるものの、妙に説得力があります。


天国へとつながる生き方は目覚めたエゴフリー


死後の世界へ』では、

  • 自分のことを客観視することができる魂は天国

  • 限られたものの見方をしていて主観に偏っている魂は煉獄

  • 自分が信じ込んだ価値観以外は受け付けない排他的なものの見方をしている魂は地獄

といった状態のように描かれています。

視野が広いか狭いか、気づきが多いか否か、という状態とも言えますね。


また、本来の自分が、自分のエゴにとらわれている度合いで見ることもできます。

  • エゴフリーで執着がなく、あるがままの自分を受け容れ、意識的に自分がどう在りたいかを選択している魂は天国

  • 役割、モノ、容姿、思想・信念、過去の出来事などを自分のアイデンティティと同一化し、それらに執着している魂は煉獄

  • 自分のエゴに自分のすべての主導権を明け渡している魂は地獄

端的に言えば、本来の自分に目覚めてそれを生きていれば、天国ということになります。

エックハルト・トール著の『ニュー・アース』にも、自分で自分を、そして他人をも苦しめていることに気がつかない間は、自ら地上に地獄を創り出している状態であると書かれています。


いわゆる、誰から見ても「善い人」であったり、社会的に見て「善い行い」さえすれば「天国」に行くわけではない、というところは納得感があります。そして、今を生きている間に「天国」の状態を目指してできることはありそうだなという印象を受けました。この世にいる間からあの世のことを考えたくない、という人はいると思いますが、この世にいる間から天国の状態は始められるとしたら、今からでも、確実に自分が楽になっていく方法を取っていきたいものですよね。


今のこの人生から歩み始める天国へと続く道


では、天国へとつながる生きかたはどういうものなのでしょう。


自分を愛する生き方をしてこなかったことに気づき改め

どんな瞬間も自分が選択していくという意識を持つ


これに尽きます。多分。


結局は、いつもの「本来の自分に還れ」ということなのですが、具体的にどうしたらいいのか挙げていきましょう。


1.自分の心の声に正直に、あるがままの自分を生きる


周囲の期待に応える、社会的な理想像を追い求める、他人からの支配を許容する。女性だから、男性だから、太っているから、痩せているから、何歳だから、妻だから、夫だから、勝ち組だから、負け組だから。こうやって義務感や制限が発生するレッテルという呪縛にとらわれている間は、自分ではない何かになろうと、それにしがみついている状態。○○でなければ自分は幸せになれない、という条件を自分に課していることに気づき、ひとつずつ手放していきましょう。

自分の心に正直でいること以上に「いい人」「いいコ」である必要はありません。むしろ、自分に貼ったラベルにこだわっている間は、本来の自分像から逃げているとも言えます。自分は本当はどうしたいのか、どう在りたいのか、意思を持って自分で選択していくことが、自分の人生を生きていくことになります。自分の心の声を無視していくことは、自分に愛を与えないことと同義。自分の人生の舵は自分で取っていく、自分の人生の主導権は誰にも、社会にも、明け渡さないという意思を持ちましょう。

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2.相手にも「自分の人生を生きる」自由を与える


自分と同様に、家族やパートナー、自分と関わるあらゆる相手に対して、その人の人生を生きる自由を与えましょう。無意識でやっていることも多いので、自分が相手に依存している、あるいは相手を支配しようとしていることに気づける人は少ないかもしれませんが、あらゆる人間関係に影響を及ぼすこの依存・支配感情の根っこには、自己卑下や劣等感からくる嫉妬、自己不信からくる怖れなど、自分の価値を自分で認めることのできない何かがあります。そこに気づき、意識を変えていく。それは、相手を自由にしながら自分をも解放していくことにつながります。

実は、誰かを守ってあげたいという過度な願望も、支配につながります。亡くなった祖父母が私を守ろうとあの世から来てくれることもありますが、私は決まって体調が悪くなります。本来は、どの魂もそれぞれが持っている力だけで事足ります。


また、家族間でよくあることですが、つらい目に遭わないようにと先回りしてお膳立てすることは、本人からそのときベストな学びの機会を奪うことにもなり、いずれもっと痛い目に遭わせることになるかもしれません。必要なときに助けを求められたら応じる、それ以外は、相手の魂の意思を尊重し、その力を信頼してあげたほうが、ベストな方向へと事が運ぶと信じ、見守る勇気を持ちましょう。


3.自分も相手も、あらゆることを赦していく


生きていれば、つらいことは誰もが経験します。そのつらい体験から、長い間抜け出せずにいる人もいるでしょう。自分は「被害者」であるという思いから、相手を赦せない気持ちを抱えている人は、赦さないでいることによって相手を罰するというよりは、「自分は悪くない」と自分にメッセージを送ることができるから、それを生きる支えとしていることもあります。


また、自分は生きていく価値のない「悪いコ」であるという思いから、自分を罰しながら生きている人もいます。一度に手放すことは難しいかもしれませんが、少しずつでも「赦し」のエナジーを意識していくことで、凍った心が溶け始めることもあります。

私たちは生きている以上、意図せず誰かを傷つけていたり、別の視点から見たら残酷なことをしていることもあります。でも、そうとは知らぬ間に赦されている。人はいつも「赦す」立場でもあり、「赦される」立場にもあります。それに気づいたら、感謝や慈悲のエナジーを自分の中にも取り込んでいくことができていきます。


M. スコット・ペック著の『死後の世界へ』にも『バーバラ・ハリスの「臨死体験」』にも、他界したあとすぐに自分の人生が走馬灯のように映し出され、自分が他者に何をしたか、自分がどんな人間で他者をどう扱ってきたか、すべてつまびらかに見せられるとあります。それには人が大なり小なり「犯した罪」も含まれるようですが、それについて裁かれたり咎められたりするのではなく、すべてを受け容れ、赦される。それほど、あの世の入り口は慈愛に満ちているようです。それにもかかわらず、自分や誰かや社会を赦すことなんてできない、と固執し続けていたら、天国ではなく煉獄という状態を自ら選ぶことになるのかもしれません。


4.気づきの機会に心を開いておく


今世において、自分、そして自分に起こる出来事を一歩引いて客観的に眺めることができる人は、得られる気づきが多いです。エゴが入り込んで自分を主観で捉えがちになる人は、客観視することを阻むブロックがそこにあります。たとえば、何者でもない自分を直視する怖れがある場合など。自分を100%客観視することは難しいので、人からの助言に耳を傾けることができるように意識しておくのも大切ですね。ヒーリングも、頑固な人は効果が弾かれてしまうことがありますが、素直な人は効果絶大。ブロックが取れていくのも早いです。この世に偶然はありません。何か引っかかる言葉があったなら、それは自分の内側の何かと反応しています。

排他的にならずに視野を広く持とうと意識しておくことも大切。スピリチュアルも、自己探求のツールとして活用する人としない人の差は大きいです。自分の信じている視点以外で世界を見ようとしない人は、限られた世界観に自分を押し込めていることに今回の人生で気づくことはないかもしれません。


科学的に証明されていないものや目に見えないものは信じないという人もいますが、それだけではもったいないです。半信半疑でもいい、受けられる恩恵は目に見えないものもあるかもしれない、そう可能性を残しておくと、いいことがあるかもしれません。


”Seeing is believing, but also know that believing is seeing.” 

              -- Dennis Waitley

人は見たものを信じる。

しかしときに、まず信じることが見ることにつながる場合もあると知りなさい。


5.宇宙の流れにゆだねて気楽にリラックス


完璧主義で、物事を突き詰めようとし過ぎたり、エゴによる願望が強いあまり、何かを得ようと必死になったりすると、力が入り、あらぬ方向へと事が運ぶことがあります。また、自分は変わりたくないと、変わらないでいることに執着し、変化に抗うことも、力が入りすぎている状態です。


物事や状況をコントロールしようとし過ぎず、自分の心に従って行動する。目先の結果に一喜一憂しすぎず、なるようになると力を抜いてリラックスすれば、得られるものは自分が期待しているよりも遙かに大きなものとなります。


愛と豊かさは無限にあるということを信頼しリラックスすれば、波動が高い状態になって引き寄せ効果も最大になります。ペック氏によれば、天国にいる状態は、気楽に構えてリラックスすることと同じらしいので、ぜひ力を抜いて、流れにゆだねてみましょう。



この世もあの世も、自ら選択した想念が創り出す世界


死後の世界へ』の中では、似たような心の状態を持った人たちが集まって、地獄の状態のグループ、煉獄の状態のグループ、天国の状態のグループそれぞれが、コミュニティのようにありました。どのグループに属していても、苦痛を与えられるようなことはなく、自分が信じている世界の中で、自分がしたいこと、する必要があることをして過ごしているイメージが印象的です。

"死後の世界に一般的にいえることは、自分の想いが「具象化・物質化」するということだ。ひとりの想いは弱く、つくり出されたものはすぐに雲散霧消するが、大勢の人が共通の強固な信念を持つと、それによりつくり出される「もの・世界」は強固で、そこに住んでいる人たちにとっては、現実世界である。"


「臨死体験」を超える死後体験』坂本政道著

これは逆に言えば、自分の世界は自分で創ることができるということです。マジョリティが見ている世界に吸収されそうになっても、自分が望む世界にまた戻していく、これを繰り返していけば、同じような想いを持つ人たちとつながっていくことができて、少しずつ自分の世界が揺らがなくなっていくかもしれません。これは、この世でもあの世でも当てはまるように感じます。


たとえば、テレビなどのメディアから流れてくる不穏なニュースに日々さらされている人たちは、世界を危ないところだと認識し、不安感を募らせ、いかに自分をあらゆる脅威から守って、人よりも優位で安全な立場に立つかに終始しがちだったりもします。


一方、世界情勢はどうであれ、日々与えられる自然の恵みに感謝し、目の前の誰かを助け、自分がやりたいことに淡々と取り組んでいる人たちは、平穏なエナジーを自ら発し、調和の世界に生きています。

世界は自分の映し鏡。自分の選択次第、自分の意識の仕方次第で、世界の見え方は変わる。


心を乱したり、不安感を煽るような情報をシャットアウトしたり、自分が望む世界観や波動と合わない人や場所から離れる。気分を害される出来事があっても、その後どういう心の状態に在りたいかは自分で選ぶ。あらゆる選択を意識的に行っていくことで、自分が望む世界を創っていくことができます。



あの世にいない魂はどこに


余談ですが、天国、煉獄、地獄、そのどこにもいない魂もいます。あの世とこの世を自由に行き来している魂とは違い、一度もあの世に行っていない魂。この世とあの世の狭間にとどまっている、いわゆる幽霊です。幽霊は、恨みや物質世界にいる誰かや何かへの執着など何かしら思い残すことがあって、この世界との結び付きを断ち切れないでいるようです。


十年前にお母様を亡くされ、開眼供養を含め法事をすべてしきたり通りにされてきた方のお母様は、成仏されずにまだこの世を彷徨われていました。ご家族が本当の意味でご供養できていなかったというのと、ご本人も成仏したいけれど背中を押して欲しいというお気持ちもありました。儀式だけではどうにもならない人の気持ちというものが、生きている方にも亡くなられた方にもあるということを実感した出来事です。

あの世にいないもうひとつの理由は、すでに転生している場合。転生するかどうかも、そのときの魂の意思で決められるという印象を受けます。


私が子どもの頃に飼っていたうさぎは、人間の女性としてパラレルワールドに生まれ変わっているようです。二十年ほど前に亡くなった犬は、私の出身星にいて、植物のような生きものになっているとリーディングしていただいたことがあります。それもある意味では「転生」で、地球に生まれ変わることだけが転生というわけではないのかなと思ったりもします。


結局は自分がどう在りたいか


「本来の自分」を意識的に生きようとする人が「目覚めている」とするならば、その覚醒レベルによって見える世界は変わり、体験する世界も異なるということが、この世でもあの世でも当てはまるように思えてなりません。そしてそれが優劣や幸不幸を決めるかというとそうでもなくて、自分の在り方は自分で選択し、自分で責任を取っていくというだけのこと。


死後の世界へ』に描かれていた天国の状態にいる魂からは、煉獄や地獄にある魂が苦しんでいるように見え、悲惨で哀れだとか惨めだとか感じるようですが、当の魂たちはそれぞれの世界が正と思っているので、それが必ずしも不幸であるとは限らないようです。

今のこの世界でも、本来の自分の感覚を忘れてしまっていることすら忘れている状態で生きている人たちは多いでしょう。本来の自分にとって心地のよいベストな状態というものがどんな感じかわからなければ、そこに戻そうとすることもないのかもしれません。ヒーリングセッションで本来の感覚に戻すお手伝いをすることはできますが、それにはまず、今の自分に疑問を抱いたり、違和感を覚えたりと、自分を戻していく必要性に自分で気がつく必要があります。


とはいえ、いずれどんな魂も気づいていくのかもしれません。それが今世なのか、あの世なのか来世なのか、何万回後の来世なのか。別に焦らなくてもいいやという見方もあってもちろんいいと思います。


この記事をお読みくださっている方は、少なからずご自身の視野を広げよう、生き方を変えていってみようと思っているはずですので、いわゆる地獄には行かないでしょう。今からでも本来の自分に限りなく近づいた生き方をしていこうとすれば、今世の残りの人生も、あの世も、来世も、天国の状態が待っているかもしれないと、私は思いたいです。苦しむよりも、楽になっていきたいので・・・。


”絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で 自分らしくあり続けること それがもっとも素晴らしい偉業である


嫉妬は無知のしるしであり 人真似は自殺行為である”

-- Ralph Waldo Emerson