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時間との関係から見る自己

誰に咎められたわけでもないのに、そのとき「すべきではないこと」をして、あるいは「すべきこと」をせずにいて、「貴重な」時間を「非生産的に」過ごし「無駄に」してしまった自分に、罪悪感や自己否定感を抱きやすいなら、時計時間という枠にとらわれすぎて、自分の心を置き去りにしているかも。心理的、信念的、文化的に条件付けられた時間の観念をいったんリセットし、「今ここ」の瞬間のエナジーを捉えるほうへと意識をシフトさせてみると、本来の自分とつながることができるかもしれません。

 

目次


I. 時間をどう捉えるか


絶対時間 vs. 相対時間

有限の直線的時間 vs. 無限の円環的時間

クロノス vs. カイロス

モノクロニック vs. ポリクロニック


II. 時間と意識


川 vs. 湖

川での流され感が強くなりがちなとき

流れのない湖で漂ってみる

時間は意識の中にしか存在しない

時間のありようは心のありよう

 

I. 時間をどう捉えるか


まずは、様々な切り口から時間の概念を探ってみましょう。


絶対時間 vs. 相対時間


時間というものは、誰にとっても同じように流れているものなのでしょうか。


時間を絶対的なものと捉えるか相対的なものと捉えるかによって、時間感覚は異なるでしょう。科学者アイザック・ニュートンは、時間はどこでも均一に常に一定の速さで進むという絶対的なものとして考えました。これに対し、時間は物質との相対的な関係によって伸び縮みすると考えたのが物理学者アルベルト・アインシュタインです。


アインシュタインの説でいくと、物質がなければ、時間は存在しないということになりますね。私たちは、太陽が昇り沈む、子どもが成長する、植物が生長する、四季が移り変わるといった変化を目の当たりにして時間を認識しています。でも日々何を目にするかは人それぞれ。時計時間という枠が存在しなければ、時間の感覚とは本来、人によって違って当たり前のものかもしれません。


有限の直線的時間 vs. 無限の円環的時間


時間の捉え方は、死生観とも関係しています。


生きとし生けるものは、この世に生を受けた瞬間が始まりで、死が終わり。すべてに始まりがあって終わりがあるという有限的な死生観においては、時間は直線的に流れるものであり、過ぎ去ってしまったら取り戻せないものという、一方通行で不可逆的な見方となるでしょう。

一方、肉体は朽ちても、魂は絶えることなく生まれ変わるという無限的な死生観では、時間は繰り返し円環するものと捉え、始まりもなければ終わりもなく、可逆的であると考えられていることが多いようです。


”古代エジプト、ギリシャ、マヤなどの多くの古代文明の宗教では、神々が創造した世界は、創造-存続―終末-破滅…を周期的に繰り返す円環的な構造になっており、無限に反復するので、時間は同じ道を辿るという意味で逆戻りも反復も可能なもの、あるいは、そうしながら永遠に続くものと考えられていました”

(出典:「時間とは何か 第一話」SEIKO)


クロノス vs. カイロス


時間の感覚は、死生観だけではなく、個人の主観や体感、心によるところが大きいというのは、誰もが感じたことがあるでしょう。直線的に流れるように感じる時間に奥行きが出るのは、私たちの意識が深くかかわった瞬間といえます。


古代ギリシャには、クロノスとカイロスという2つの時間の概念がありました。

フランチェスコ・デ・ロッシ, CC0, via Wikimedia Commons

クロノスは、時計の針が刻む客観的な量的時間。


カイロスは、一瞬一瞬の連なりによる主観的な質的時間。個々に体感するもので、それぞれの意識によって異なる「意味のある瞬間」であり、測ることはできません。タイムというよりは、モーメントや好機を指します。


「チャンスの神様は前髪しかない」といいますが、それはフランチェスコ・サルヴィアーティの描いたカイロス像の頭髪が前髪しかないことからきています。


どんな物事にもベストなタイミングがあります。そしてそれは、今この瞬間のエナジーを捉えることでしか掴むことはできないのかもしれません。



モノクロニック vs. ポリクロニック


文化人類学者エドワード・T・ホールは、時間は絶対的なものではなく、文化によって条件付けられるものであるとし、時間の観念の違いでモノクロニックとポリクロニックに文化を分類しました。

そして、時間について同じような考えをもつ人たちは、予定の立て方、仕事や物事に対する姿勢、対人関係など他の側面でも共通した考えを持つと言われています。


モノクロニックかポリクロニック、そのどちらかの傾向が強い場合もありますし、ミックスして使っている場合もあります。また、これは人にも文化にも言えますので、あくまで傾向として見ていきましょう。


モノクロニックな文化・人の傾向

  • 時間を守ることを重視する

  • 時間に遅れるのは罪であり欠陥であるとみなされると感じている

  • 世界中の人々が自分たちと同じように時間を重視していると思い込んでいる

  • 約束の時間ぴったりに約束の場所にいることを期待する

  • 約束や予定が詰まったスケジュールに沿って行動する

  • 時間は直線的に流れ、永遠に続く帯のようなものと認識する

  • 自分の任務を最優先に考え、生活や余暇、楽しみも犠牲にすることがある

  • 人間関係を短期的視野で捉える

時は金なり――時間を重んじるあまり、時間に振り回されながら生きているように感じることもあるでしょう。他者の「遅れ」に対しても、厳しい見方をします。


モノクロニックな国々は、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、スウェーデン、オランダ、スイス、カナダといった、工業化され、経済が商業と貿易に依存している国に多いとされています。


ポリクロニックな文化・人の傾向

  • 時間よりもっと大事なこと、(自分を含め)人間が最優先される

  • 「遅れ」の認識がないか、30分遅れるのも「時間を守っている」範囲に入りうる

  • 仕事が完成するのは人間のネットワークがうまく機能しているからと捉える

  • 時間は帯のようなものではなく、丸い風船のようなもので、誰が関わっているかによって膨らんだり縮んだりする

  • 多くの人が関係していればいるほどいいとされる

  • 多くのことが同時に進行する

  • 約束の時刻は目安にすぎず、変えてもキャンセルしてもいいと思っている

  • 予定は融通が利くものと考えるため、同時に複数の予定を平気で入れる

  • 人間関係を長期的視野で捉える

時間というものはどうにでもなるからと、時間を操りながら生きる印象です。

時間を守るために自分を犠牲にしない。他者の「遅れ」に対しても寛容です。


ポリクロニックな国々は、アジア、アフリカ、中東、地中海沿岸諸国、ラテンアメリカです。

出典:『フランス人 この奇妙な人たち』ポリー・プラット著



II. 時間と意識


様々な切り口から時間の概念をご紹介しましたが、時間との関わり方について今のご自身の傾向は見えてきたでしょうか。


時間の中に自分があるのか、自分の中に時間があるのか。

ここからは、時間と意識の関係について見ていきましょう。


川 vs. 湖


ここまでの時間の切り口を、二つに分けてみました。

時間をそういうものとして感じる傾向としてご覧ください。


時間は、過去から未来へ一方向かつ直線的に流れ、

川の流れのように過ぎ去ってしまったらもう戻らない。


そう考えるからこそ、1分1秒、今日という1日を大切にするという姿勢が生まれます。日本では、相手をお待たせしてはならないという礼儀と、集団の秩序を保つための規律として、幼い頃から時間には厳格であるよう求められることが多いでしょう。時間厳守が徹底されているから、人とのやり取りや流通システムなどがスムーズに機能するといえます。体内リズムを整えるためにと、起床・睡眠、食事、運動などを日々の時間的習慣にされていることも多いでしょう。


時間は、湖のように目の前にたっぷりと広がっていて、

自分次第でいかようにもできる。


瞬間がもたらすものを味わうことに意識が向き、時間の感覚が伸び縮みするがままに任せます。川のように一方向への流れというものはありません。多方向へと自分で向かうことができます。時間という枠を他の人と同じように捉えないため、集団的に見ると無秩序に見えますが、時計時間より自分自身の感覚に従っているため、個々の内側では秩序があるといえます。幼い子どものように、目の前の体験に没入するのもこの感覚に近いでしょう。


スピリチュアル的には、時間を湖のように捉えたほうが「今ここ」感は得られやすくなります。川から湖へと、意識をシフトさせていくことも時には必要になるでしょう。


川での流され感が強くなりがちなとき


時間を直線的に流れるものと捉えていると、過去のA地点から未来のB地点へと、常に流れの中にある自分は、流されている感覚に陥りやすいかもしれません。


ビジネス社会では時間との勝負であることも多く、そこでは時間は絶対的なものです。急流下りのようにスピードについていくことが大変なこともあるでしょう。しかし、時間の奴隷状態から自分を解放できずにいると、自分を見失いがちにもなります。

流され感が強まると抱きやすい心理・思考・感情

  • 一方向の流れの中にある自分=時間に対して受け身

  • 時間に置き去りにされている感覚や、無力感のようなものを抱きやすい

  • 世間の流れについていかなくてはと必死になる

  • 間に合わせることの焦り、過去への後悔や罪悪感が消えない

  • 今までの自分から想像する将来の自分への諦め感

  • 「すべきこと」や「しなければならないこと」ばかりにとらわれる

  • 感覚ではなく思考をベースに行動する

  • 本質的に大切なことに気づきにくく、チャンスを逃しやすい

  • 自分ではなく、時間に合わせる、周りに合わせるほうを選びがち

  • 常に「時間が足りない」という状況に陥りやすく、不足感を生みやすい

  • 生産性や効率性が低いと罪悪感や自己嫌悪に陥る

  • 計画や習慣に固執しがちで、柔軟性に欠ける

  • 自分をケアする余裕、人に配慮する余裕がない

  • 「経過した時間」に意識が向きやすく、老いを感じやすい

  • 自分を生きている実感